近況報告とか

新しい紙を試している。
ずっとEPSONのクリスピアという光沢紙を使っていたけれど、試してみたい「仕上がりイメージ」があって、ピクトリコのマット紙で試し刷りをしている。
いつ世に出せるかは、まだめどがついていない。

ARTMINDのExpansionというイベントのクロージングパーティを撮影した。
予測はしていたが、とても暗い会場でISOを640とか800にしても、F5.6だと1/6というスローシャッター。
超広角レンズとスローシンクロ、二灯ライティングで、できる限り工夫してみたが、依頼主の意向やアーティストたちの期待に応えられたかは、わからない。

with ArtMind
興味がある方は、Flickrへどうぞ。

そろそろイベント告知をしないといけないのだけれど、時間がない。
もうしばらくお待ちください。

そして、ぼくは途方に暮れる

オレのPCが不調なのである。
電源を入れると、ハードディスクのランプが往年のピカチュウを想わせるほど、烈しく明滅しつつ、BEEP!、BEEP!、BEEP!、と、異に響くような、痛々しい悲鳴をあげるほどである。

というわけで、部屋にいても、路頭に迷ったヌリカベの如く、ただただ途方に暮れているのでした。

流星ワゴン、表現。

最近小説を読んでいなかった。大好きな浅田先生の作品で読みたいものを、あらかた読んでしまったから。
他の作家の小説もちょこちょこ読むけど、他の作品も読みたい!と食いつく作家もいなかった。

小説を読まないと、ずっと携帯電話を触り続けるオレは、その不健康を久しぶりに取っ払うべく、流星ワゴン(作 重松清)を読み始めた。

親子という関係を清々しく描かれていて、加えて舞台が現代ということもあって、一気に読み終えてしまった。
主人公たちとは年代が近いため親近感を覚えつつも、全く異なる境遇に身を置くオレは、理解も想像も共感もできるにも関わらず、実感が乏しいため、やや引いた目で読んでしまった。

根底に流れる「日々の生活における幸せの不確かさ」への認識と「苦境にあっても前へ進む努力の美しさ」は、拙作「Alices」や「セツナイ太陽」と共通していて、同時代性を感じる。
ま、普遍的なテーマではあるけれども。

先日、人からあるイベントの撮影を頼まれた際、「記録と表現の両方を撮りましょうか」という言葉が、瞬間的に出た。
室内だし、夜だし、できることは「偏る」けど、アグレッシブに撮ろうと思う。

セツナイ太陽の展示風景の現像とプリントがあがってきたので、百音へ持っていった。
「記録」よりも、「表現」が多く含まれている写真を百音のアルバムに置いてきた。

台風の後の順光の町並みは、やたら立体的できれいに見える。空も高い。
深呼吸をしてみたら、少しだけ涙がこぼれた。

今日は、セツナイ太陽 最終日!

いよいよセツナイ太陽 最終日。

昨日は、突然の雷雨と、10秒ほどの停電(!)などハプニングの連続だった。
オレは結局15時過ぎから23時半までいた。いろいろな方とお話しできて、本当にあっという間だった。
会期が進むと、少しずつ作品を冷静に見るようになって、いまは穴に入りたい気持ちは少なからずあるけど、それはそれ、あれはあれ、これはこれ。
最期までがんばろうじゃないか。

最終日なので、古い作品をもう少し持っていこうと思う。

今日は15時頃からラストまで、オレは会場にいます。ご都合が許すかたはぜひお越しください。