明日15日から23日まで高円寺で展示します。

暑いですね・・・。「。展」も終わり、バタバタしているうちに告知が遅れてしまいました。申し訳ありません。

高円寺の「Gallery Cafe 3」さんの企画展に出展します。
在廊日はいまのところ、初日はできるだけいようと思っておりますが、参加者も多いことから、居場所があるかどうかわかりません(笑

よろしくお願いいたします。

高円寺の Gallery Cafe 3 さんの企画展示にお誘いいただきましたので、僭越ながら出展させていただきます。
3 さんは私が初個展をした「百音(もね)」という店があった同じ場所にあり、店も店主も変わったのに、いまだ当時のお客さんが多く通ってらっしゃる素敵な(不思議な)お店です。

017年7月15日 土曜日より、7月23日 日曜日まで、
Gallery Cafe 3 企画展#002 「カレイドスコープ」を開催予定です。
昨年に引き続き、3にゆかりのある表現者のみなさんにご協力いただき、多彩な表現の共演をお楽しみいただきたいと思います!
参加予定作家(順不同、敬称略)
佐藤藍子 浜崎仁精 林 明日美 堀江裕子 團上祐志 坡山海香 人見 将 Masashi Furuka 川村双葉 斎藤史佳 雅yuki Yoshida

イベント告知Facebookページはこちら

2017年になっていろいろと。

前回のエントリーから随分間が空いてしまいました。絵露愚乱末世4の閉会後に書いたと思っていたのですが、気のせいでしたね。。すみません。

本当にありがたいことに、俺が個展をバンバンやってた頃に来ていただいた作家仲間や写真家仲間、そしてお客さん(!)がたくさん来てくださいました。4,5年も経つのに(わざわざ)横浜まで来ていただいて、なんてお礼を言っていいのやら恐縮しきり。夢じゃないかと思いましたよ。

本当に本当に本当にありがとうございました!

このブログでは書いていなかったと思うのですが、絵露愚乱末世4の準備と並行して、自分の仕事環境も2016年の8月末ごろから大転換期で、ようやく最近道筋がつきました。そのこともあって、なかなか落ち着いて自分の考えを整理することもできないまま、2016年は暮れて行きました。

加えて、身近な人には語っているのですが、何を隠そうこのわたし「年末年始症候群」というやつで、クリスマスが近づき年越しムードが高まると、必ず毎年とっても精神状態が悪くなります(苦笑

這々の体で年を越したのですが、それと前後して年末は15年ぶりぐらいに京都の連れと忘年会をやり(もちろん京都で)、連れの家に泊めてもらいました。2016年は永らく敬遠していた実家が元あった大阪の町を歩いたりと自分のルーツを再確認して受け止めるという作業をした年で、その締めにふさわしい京都滞在でした。

わずか半日でしたが、やはり京都の空気が好きです。街並みが好きです。人が好きです。

でも、東京でやり残したことがあります。

そして、2017年。

年が明けてから早くもひと月になろうとしていますが、このひと月の間に大きく二つほど、ここに書こうと思う話題ができました。

ひとつは、「仕事以外で常に持ち歩くカメラをつくる」こと。
そして、もうひとつは「自分の昔の作品を超えられないのではないかと諦めていたことに、気づいた」こと。

いま、考えはまったくまとまっていないのですが、書き留めておかなければ、と思い、書き残すことにしました。

感想も反省もクソもないと思ってしまったw

先週の土日に、artmania のイベントに参加し3年半ぶりに展示した感想とか想いとかを書き留めておこうと思っていたのだけれど、自分としては制作期間や作品の出来栄えに良い意味でも悪い意味でも納得していることに気づいて、やっぱり止めた!(笑)

言い訳がましくなるのも嫌だし。

ともかく、お忙しい中、2日間という短い会期にもかかわらず、横浜へ足を運んでいただいた友人知人の皆様、本当にありがとうございました。一緒の時間を過ごせたことに感謝しています。

また、イベント前後でご都合悪く来られない方からも、多数の励ましや無念のメッセージやコメントをいろんなメディアでいただきました。何度涙したことか。今後もNo Reason の新シリーズ制作を続け、いつの日か、また展示したいと思っています。その時にお会いできることを楽しみにしています。

Masashi Furuka “2nd Act” in yokohama art apartment

プリントと対峙する時に思うこと。

今日は展示に向けたプリントのチェックをしたのです。今回のプリントは未撮影のものがある段階から相談しつつ、少しずつデータを渡すことになってしまい、イーストウエストさんにはご迷惑をおかけしました。にもかかわらず、いつもながら担当のTさんには懇切丁寧にご対応いただきました。まずはお礼を申し上げておきたい(まだ2枚ほど残っているけどw

で、今日ブログに書こうと思ったのは、プリントチェック時に思ったことと、なぜプリントを専門家に依頼するかということを、すべて書き切れないだろうけど、少しだけでも残しておきたかったから。前回とは打って変わって現実的(笑)な話題だけれど、興味のある方はお付き合いください。

まず、なぜプリントを専門家に依頼するかについて。

そもそもNo Reason の3回目の個展までは自宅でプリントしていた。プリンタはEPSON の PX-5500。9色インクを使用する MAX ART というシリーズ。2000年代半ばに結構売れたので、ご存知の方も多いと思う。用紙も初めの頃は、EPSON のクリスピアという超光沢で、いろいろ試した後、No Reason シリーズではPICTRANの「局紙」を好んで使っていた。展示の回数にして10回以上。点数は数え切れない(苦笑)。

そのうち展示を続けるにしたがって、毎回新作を展示することを信条としていた俺はいくつかの課題を感じるようになった。列挙すると、「プリントサイズの限界」「何度も試し刷りをするコストと手間」「ひとりでプリントする限界」が主な課題だ。

プリントサイズの限界については、PX-5500 はA3ノビまで印刷できる。やっかいなことに写真というのはプリントサイズが違うと見え方が大きく変わる。たとえば、古い個展だと、こういう展示もした。

No Reason File01

とはいえ、上は特別な場合(笑)でロール紙のプリントを3枚横に並べていて。その後、No Reason の4回目の個展では、メインのプリントのサイズをおよそA2サイズにしたのであります。一点一点を大きくして細部も大きく見やすくしたくなったのです。

704172_512213998803375_1323444328_o

また、「何度も試し刷りをするコストと手間」については、必要経費は外注化したほうが絶対に安いです。計算してみたらすぐわかる。自分でプリントするほとんどの人は自分の出したい色や絵に近づけるためにプリントをみては直し、データを調整したりプロファイルを変更したりしてると思います。俺もそうでしたが、展示を重ねるとその手間を省きたくなったのです。

展示前には時間を作るために自分の他の仕事を片付けたりしないといけないし、一番大事なのは「宣伝」「告知」だったりします。有名ではない身としてはね(苦笑)それに、今回みたく、プリントする時間を撮影する時間に充てることもできる。

最後に「ひとりでプリントする限界」ですが、やはりプリント段階においても第三者の眼や意見が入る余地があったほうがいいと思っています。何度もこのブログなどで書いているように、そもそも俺が作品を制作する過程で他人が関与しないことは少ないので。

ただ、冒頭話したように、プリントを外部に依頼することでチェックする時にいろいろ気づいたり思うことがいろいろあるのです。例えて言うなら、「自分の中学生の子供が部活合宿に行って、一週間会わないうちに帰ってきたら、ちょっと変わって見えた」みたいな感じ。いや、俺、子供もいないし独身ですがね(笑)

その時にチェックする観点っていろいろあるけど、詳しく書くと長くなるので割愛しますが、むかし会社員だった頃にディレクターとして蓄積した経験がすごく活きていて。まぁ、上の例えに沿って言えば、「合宿前と後で、何が変わったか変わってないかを、長所と短所を挙げ連ねて確認」しています。

「少し背が高くなった?」
とか
「なんだか少し大人になった?」
とか
「少し痩せた?」
とか
「顔のラインがシャープになった?」
とかとか。
印象的な部分が重点的ですが、細部の見え方もチェックします。

でも、このようなことって、自分でプリントしていると、ついつい「自分が気にしているところ」しか見えなくなって、偏った(部分的な)調整をしてはプリントするということを繰り返して泥沼に・・・となったことが俺にあったかどうかは忘れてしまった(笑)のだけれど、そういうことは「プリントを専門家に任せれば防止できる」のです。

まぁ、いろいろ書きましたが、結論的には、人それぞれ考え方もやり方も違うので、好きなようにすればいい(笑)と思いますが、写真を撮り続けるなら一度はプロラボにプリントを依頼してみることをお勧めします。

妄想猛走

6月18日(土)19日(日)の展示まで、あと1週間となりました。DMはどれだけの人の手元に届いただろうか。郵送した方はポストから取ってくれただろうか(笑)
見知らぬ方で手に取り、家に持って帰ってくれた方はいただろうか。

昨日一昨日と某公園で撮っていると、いろんなことや光景が脳内にフラッシュバックしてくる。時々休みつつ、フラッシュバックした人の姿を宙に追ってみる。若くして亡くなった人がいる。連絡がつかない人もいる。さまざまな光景が浮かんでは消える様はムービーというより、幾重もの多重露光のように相互に干渉しあい、やがては白く消えていく。

ボツ0061

小さな世界に意識も記憶も吸い込まれてゆく。

時間感覚はその渦潮に飲み込まれ、自分の存在を感覚することすらおざなりになった後、視覚だけが呼吸をする。血は固まり脈は今しがたの雨のごとく土を打ち続ける。

帰る場所を失った四肢。

写真は光の化石という生やさしいものではなく、地層のようなものだと最近は思う。
活断層や深層にマグマを湛えた地層。化石は浅い地層にしかないじゃないか。表面にはうっすらと流された汗や涙が。

写真はどこへ行くというのか。