06 No Reason 第3回撮影

第3回撮影は2009年4月27日夜。
そう、
第2回撮影を朝5時までやった
その日の夜にまた撮影www

実は、渋谷のカフェSPUMA(2009年7月閉店)で展示していたのだけれど、そこで行われるイベントを利用して撮影した。

当初の構想から、クラブやカフェのイベントの最中に服毒自殺、というシーンを考えていて。

ちょうど自分が参加するイベントがあってこの機会を逃す手はない、と考えた。

メイク場所は渋谷駅東口の貸パウダールーム。

そこからSPUMAに移動し、
イベント中に片隅で撮影。

後ろに友人が二人写っているのは、彼らが気を遣ってくれたのか、偶然かはいまも謎。

実はかなりモデルの方が、プロポーションが良く美人だったため、観衆の目を引きすぎてしまい、撮影意図とは違うものになってしまう可能性があった。

冷やかしに合いながらも疑似死体になりつづけてくださったモデルさんのプロ意識の高さと心意気に感謝!!!

これで公募に応募する作品として予定していた撮影はすべて終了。
のはずだったが・・。

*補記
このモデルの方は、後ほど売れてしまい、事務所から許可がおりないため、写真集への掲載や展示は以後おこなっておりません。

05 No Reason 第2回撮影

第2回撮影は2009年4月26日。
モデルの智くんとは午前0時過ぎに渋●駅に集合。理由は簡単で、深夜に撮影するからw

その後、終電が無くなるためファミレスで時間をつぶし、午前2時(!)にヘアメイクまえださんが合流。

そして、ファミレス内でメイクして撮影する、という強行軍ww

どうしても夜間の都会の路上で撮影がしたくて。

実はこの前日の4月25日は、東京は夕方頃からずっと雨だった。

でもオレは確信していた。
雨が上がることを。

そして待ち合わせ時間の午前0時、その確信通り雨は止んだ。

空が白むまで撮り続けた。
午前5時頃にシュート終了。
解散。

無理を聞いてくださった二人にとても感謝している。

道路上に描くヘッドライトの軌跡。
鈍く光る雨上がりの路面。
沈む影。

好きな作品だ。

04 No Reason 初回撮影

場所は駒沢オリンピック公園。
撮影にあたっては、もちろん公園事務所に利用申し込みをして許可を得た。

これが結構撮影日まで時間がなくぎりぎりに
申し込んだから、大変だった。

事務所の方にPDFで申込書を送ってもらうなど親切にご対応いただいたおかげで、ようやく間に合った。

実はモデルが足りず、撮影1日前にmixiのコミュニティで募集するというハプニングもあった。

奇跡的に応募があり、その方(美日さん)にご協力いただき、「No Reason」最初の撮影にこぎ着けることができたのだった。

ロケハンを事前にしていたので、迷わず撮影場所へ。

心になにかが注ぎ込んでくる。

場所を決めて、茂みの中で横たわる二人。

空気が変わったのを感じた。

そして、心の中で、加護を、と祈りながらシャッターを切り始める。

この作品はカット数を少なく、と決めているものの、さまざまなアングルで、その「場」を切り取っていく。

こうして、「No Reason」最初の作品が、できあがった。
2009年4月18日のことである。

slightly sound in my heart.

03 No Reason 始動

やはり大きかったのは、今も手伝ってくれている
ヘアメイクまえださんとの出会い。

SUZU CAFEの時の展示では、別の方にお願いすることにし、まえださんには会ったその日に断りの電話を入れなければならなかった。

その時、同時に次のオレの作品には、絶対手伝ってもらうから、と伝えていた。

彼女がいなかったら、No Reasonは、
はじまらなかったとさえ思う。

「きれいで、明るい、死体」 の
コンセプトを伝えると、
「おもしろそう!!」と言ってくれて。

オレは仕事以外で
久々に絵コンテを描いた。

そして、これまでオレの作品に出てくれた方々の中からモデルを選ぶと同時に、5月の公募締め切りまでの日数を逆算し、撮影回数を決めた。

どのモデルさんも協力的で。

え?死体?
という人は皆無。

みんな、いいひとばかりだ。
素直にそう思った。

02 御苗場にて

3月は渋谷の「SUZU CAFE」にて展示していたり、そのイベントだったりで、なんかバタバタしていた。今思えば、本当に時間がなかったんだなぁ、と思う。

another capture of "a shape of beauty"

そして、次の作品のことを考えはじめる。
もっと非日常を増やした、わかりやすい写真を撮りたい
「きれいで、明るい、死体」それがはじまりだった。

そして急速に言葉とイメージが集まってきた。

まだぼんやりとした宇宙の始まりの「ガス雲」みたいな状態だけど。

そして、御苗場の搬入にミスって、しかも、展示作業中に現場で冷静になることが出来ず、わけのわからない展示になってしまった。

土日の講評のために、会場に行くも、自分のブースには恥ずかしくていられない、展示を止めて帰りたい、と精神状態がどん底に。

会場で、月村さんに電話して、助けを求め、ようやく落ち着くも、やはりつらかった。