去年のボツ作品とか

2016年の再始動以来、デジタルカメラを使いつつもアナログ的な手法で撮る、ということをずっとやってます。

で、2016年の6月に久方ぶりの新作を展示した時のボツ作品でどうしても記憶に残っているものがあって。ボツにした理由は「作品のコンセプトにそぐわないから」なのですが、絵的にはこっちのほうがずっとインパクトがあるし好き。

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意味はわからないけど好きです。

モデル:宗山史
ヘアメイク:高橋塁
スタイリスト:近あづき
撮影:Masashi Furuka
2016年4月21日撮影

感想も反省もクソもないと思ってしまったw

先週の土日に、artmania のイベントに参加し3年半ぶりに展示した感想とか想いとかを書き留めておこうと思っていたのだけれど、自分としては制作期間や作品の出来栄えに良い意味でも悪い意味でも納得していることに気づいて、やっぱり止めた!(笑)

言い訳がましくなるのも嫌だし。

ともかく、お忙しい中、2日間という短い会期にもかかわらず、横浜へ足を運んでいただいた友人知人の皆様、本当にありがとうございました。一緒の時間を過ごせたことに感謝しています。

また、イベント前後でご都合悪く来られない方からも、多数の励ましや無念のメッセージやコメントをいろんなメディアでいただきました。何度涙したことか。今後もNo Reason の新シリーズ制作を続け、いつの日か、また展示したいと思っています。その時にお会いできることを楽しみにしています。

Masashi Furuka “2nd Act” in yokohama art apartment

プリントと対峙する時に思うこと。

今日は展示に向けたプリントのチェックをしたのです。今回のプリントは未撮影のものがある段階から相談しつつ、少しずつデータを渡すことになってしまい、イーストウエストさんにはご迷惑をおかけしました。にもかかわらず、いつもながら担当のTさんには懇切丁寧にご対応いただきました。まずはお礼を申し上げておきたい(まだ2枚ほど残っているけどw

で、今日ブログに書こうと思ったのは、プリントチェック時に思ったことと、なぜプリントを専門家に依頼するかということを、すべて書き切れないだろうけど、少しだけでも残しておきたかったから。前回とは打って変わって現実的(笑)な話題だけれど、興味のある方はお付き合いください。

まず、なぜプリントを専門家に依頼するかについて。

そもそもNo Reason の3回目の個展までは自宅でプリントしていた。プリンタはEPSON の PX-5500。9色インクを使用する MAX ART というシリーズ。2000年代半ばに結構売れたので、ご存知の方も多いと思う。用紙も初めの頃は、EPSON のクリスピアという超光沢で、いろいろ試した後、No Reason シリーズではPICTRANの「局紙」を好んで使っていた。展示の回数にして10回以上。点数は数え切れない(苦笑)。

そのうち展示を続けるにしたがって、毎回新作を展示することを信条としていた俺はいくつかの課題を感じるようになった。列挙すると、「プリントサイズの限界」「何度も試し刷りをするコストと手間」「ひとりでプリントする限界」が主な課題だ。

プリントサイズの限界については、PX-5500 はA3ノビまで印刷できる。やっかいなことに写真というのはプリントサイズが違うと見え方が大きく変わる。たとえば、古い個展だと、こういう展示もした。

No Reason File01

とはいえ、上は特別な場合(笑)でロール紙のプリントを3枚横に並べていて。その後、No Reason の4回目の個展では、メインのプリントのサイズをおよそA2サイズにしたのであります。一点一点を大きくして細部も大きく見やすくしたくなったのです。

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また、「何度も試し刷りをするコストと手間」については、必要経費は外注化したほうが絶対に安いです。計算してみたらすぐわかる。自分でプリントするほとんどの人は自分の出したい色や絵に近づけるためにプリントをみては直し、データを調整したりプロファイルを変更したりしてると思います。俺もそうでしたが、展示を重ねるとその手間を省きたくなったのです。

展示前には時間を作るために自分の他の仕事を片付けたりしないといけないし、一番大事なのは「宣伝」「告知」だったりします。有名ではない身としてはね(苦笑)それに、今回みたく、プリントする時間を撮影する時間に充てることもできる。

最後に「ひとりでプリントする限界」ですが、やはりプリント段階においても第三者の眼や意見が入る余地があったほうがいいと思っています。何度もこのブログなどで書いているように、そもそも俺が作品を制作する過程で他人が関与しないことは少ないので。

ただ、冒頭話したように、プリントを外部に依頼することでチェックする時にいろいろ気づいたり思うことがいろいろあるのです。例えて言うなら、「自分の中学生の子供が部活合宿に行って、一週間会わないうちに帰ってきたら、ちょっと変わって見えた」みたいな感じ。いや、俺、子供もいないし独身ですがね(笑)

その時にチェックする観点っていろいろあるけど、詳しく書くと長くなるので割愛しますが、むかし会社員だった頃にディレクターとして蓄積した経験がすごく活きていて。まぁ、上の例えに沿って言えば、「合宿前と後で、何が変わったか変わってないかを、長所と短所を挙げ連ねて確認」しています。

「少し背が高くなった?」
とか
「なんだか少し大人になった?」
とか
「少し痩せた?」
とか
「顔のラインがシャープになった?」
とかとか。
印象的な部分が重点的ですが、細部の見え方もチェックします。

でも、このようなことって、自分でプリントしていると、ついつい「自分が気にしているところ」しか見えなくなって、偏った(部分的な)調整をしてはプリントするということを繰り返して泥沼に・・・となったことが俺にあったかどうかは忘れてしまった(笑)のだけれど、そういうことは「プリントを専門家に任せれば防止できる」のです。

まぁ、いろいろ書きましたが、結論的には、人それぞれ考え方もやり方も違うので、好きなようにすればいい(笑)と思いますが、写真を撮り続けるなら一度はプロラボにプリントを依頼してみることをお勧めします。

妄想猛走

6月18日(土)19日(日)の展示まで、あと1週間となりました。DMはどれだけの人の手元に届いただろうか。郵送した方はポストから取ってくれただろうか(笑)
見知らぬ方で手に取り、家に持って帰ってくれた方はいただろうか。

昨日一昨日と某公園で撮っていると、いろんなことや光景が脳内にフラッシュバックしてくる。時々休みつつ、フラッシュバックした人の姿を宙に追ってみる。若くして亡くなった人がいる。連絡がつかない人もいる。さまざまな光景が浮かんでは消える様はムービーというより、幾重もの多重露光のように相互に干渉しあい、やがては白く消えていく。

ボツ0061

小さな世界に意識も記憶も吸い込まれてゆく。

時間感覚はその渦潮に飲み込まれ、自分の存在を感覚することすらおざなりになった後、視覚だけが呼吸をする。血は固まり脈は今しがたの雨のごとく土を打ち続ける。

帰る場所を失った四肢。

写真は光の化石という生やさしいものではなく、地層のようなものだと最近は思う。
活断層や深層にマグマを湛えた地層。化石は浅い地層にしかないじゃないか。表面にはうっすらと流された汗や涙が。

写真はどこへ行くというのか。

後悔するぐらいならやり切るべき。

先週まで「Immortal smiles」の撮影とセレクトに追われていたので、考えるのを保留していたのだけれど、いざ予定していたプリントすべての入稿を終えると、やはり撮って展示しないと気持ちが悪い、後でかならず後悔すると思い、今日撮影してきた。

遡ると、No Reason「File:05 死後」を制作できると思いついた時から構成も同時に考えていて、あるテーマを下の写真のように撮っていこう、とぼんやり決めていた。

さて、ここでお見せできるのはボツ写真です・・・あくまで展示が最優先なので、申し訳ない。
自分で言うのもどうかと思うが面白い写真ではある。
おもしろいのだけれど、やはり、現像して仕上げて他の写真との展示の組み合わせとして見た時に、やはり採用できないと判断したのであります。

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展示する写真は上のものとは違いますので、展示をご覧いただける方は、組み合わせによる印象の違いを比べてみるとおもしろいかも。お楽しみに。