流星ワゴン、表現。

最近小説を読んでいなかった。大好きな浅田先生の作品で読みたいものを、あらかた読んでしまったから。
他の作家の小説もちょこちょこ読むけど、他の作品も読みたい!と食いつく作家もいなかった。

小説を読まないと、ずっと携帯電話を触り続けるオレは、その不健康を久しぶりに取っ払うべく、流星ワゴン(作 重松清)を読み始めた。

親子という関係を清々しく描かれていて、加えて舞台が現代ということもあって、一気に読み終えてしまった。
主人公たちとは年代が近いため親近感を覚えつつも、全く異なる境遇に身を置くオレは、理解も想像も共感もできるにも関わらず、実感が乏しいため、やや引いた目で読んでしまった。

根底に流れる「日々の生活における幸せの不確かさ」への認識と「苦境にあっても前へ進む努力の美しさ」は、拙作「Alices」や「セツナイ太陽」と共通していて、同時代性を感じる。
ま、普遍的なテーマではあるけれども。

先日、人からあるイベントの撮影を頼まれた際、「記録と表現の両方を撮りましょうか」という言葉が、瞬間的に出た。
室内だし、夜だし、できることは「偏る」けど、アグレッシブに撮ろうと思う。

セツナイ太陽の展示風景の現像とプリントがあがってきたので、百音へ持っていった。
「記録」よりも、「表現」が多く含まれている写真を百音のアルバムに置いてきた。

台風の後の順光の町並みは、やたら立体的できれいに見える。空も高い。
深呼吸をしてみたら、少しだけ涙がこぼれた。

今日は、セツナイ太陽 最終日!

いよいよセツナイ太陽 最終日。

昨日は、突然の雷雨と、10秒ほどの停電(!)などハプニングの連続だった。
オレは結局15時過ぎから23時半までいた。いろいろな方とお話しできて、本当にあっという間だった。
会期が進むと、少しずつ作品を冷静に見るようになって、いまは穴に入りたい気持ちは少なからずあるけど、それはそれ、あれはあれ、これはこれ。
最期までがんばろうじゃないか。

最終日なので、古い作品をもう少し持っていこうと思う。

今日は15時頃からラストまで、オレは会場にいます。ご都合が許すかたはぜひお越しください。

セツナイ太陽はあと2日

「笑っちゃうほど、masashiさんの展示って、早く過ぎちゃいますね!」
とは百音の女性店主のことば。

ちょうど同じことを、オレも感じていた瞬間だったので、本当にそうですね、と同意し、南側の壁を左目に焼き付けた。

セツナイ太陽は、あと2日を残すのみ。

残夏の陽射し、秋の夜風、写真集のにおい、自転車の音、古机のぬくもり。
百音 (mone)

セツナイ太陽はあと4日

光陰矢の如し。
時が経つのは本当に早くて、masashi_furuka写真展「セツナイ太陽」も残すところ、あと4日。
一部では、けっこう好評なので、興味のある方はぜひとも、この土日に足をお運びいただきたい。

「セツナイ太陽」は、7日の日曜日が最終です。

クローズドで行われた写真展パーティは、とても楽しく有意義で、主役にあまりなったことがないオレはかなり恥ずかしくもうれしい数時間だった。

パーティについては書き残したいことが山ほどあるけど、心の中にしっかりと残して置きたい。

ご出席いただいたみなさま、本当にありがとうございました。
死んでも忘れられない日になりました。