51 No Reason 第41回撮影

41回目の撮影日は2016年5月7日深夜から8日にかけて行った。No Reason の作品撮影としては、実に3年と7ヶ月ぶり。

ここにいたる経緯はこのサイトのブログに残しているので、それらを書き直すよりそちらをご覧いただきたい。

「祈り」と生い立ちと「再生へ」(2016年4月17日)

自分の弱さと醜さを超えてゆけ。(2016年5月5日)

そして、41回目の撮影のことは「霊園の夜明けがもたらした唯一の成功。(2016年5月9日)」に書いてるのだけれど、その記事に加筆修正することで、公式の制作記録にしようと思う。

ロケ地は大規模霊園と決まっていた。駅からそこそこ距離があるし、深夜の撮影だったので、電車ではなく自転車で(苦笑)1時間ちょっとかけて移動。

深夜0時にモデルとなるDくんと集合した。
Dくんは3年7ヶ月前の第40回目の撮影をしてくれたモデルだ。このロケ地も彼の提案だった。
最終電車が通り過ぎた踏切や人影のない商店街のアーケード、国道脇の地下道などで撮影を繰り返すが、うまくいかない。

何がうまくいかないかというと、モデル以外のすべて。構図や露出、色、テクスチャなどなどすべてがうまくいかなかった。
うまくいかない原因を分解して解決策を試みるも、いくつもある原因のうちのひとつを解決してもトータルで画にならないのが多重露出。

あきらめかけた。
途中で放り出したくなった。
愚痴りもした。

情けない。

 

 

しかし、モデルの出川くんは何度もポーズをとり、露出の猶予時間にさっと場所を変える。嫌な顔ひとつせずに。何度も何度も繰り返す。
たぶん彼には確信があったんだろう、と今では思う。
答えにたどり着ける、という確信。

3年7ヶ月が経ち、新たなコンセプトでNo Reasonの作品づくりにもっとも適した被写体であることは間違いなかった。

 

 

 

ロケハン時に俺は心底恐怖した。
夜の霊園の漆黒の闇。やや湿りのある風。カタカタなる墓碑や献花・卒塔婆。揺れる影・・・。
もう何もかもが怖くて怖くて。

 
なんとか撮影前に俺がたどり着いた解決策は「夜明けに撮ること」だった。

 

 

正直うまくいかない撮影を繰り返したために心底疲れたので、気分転換にと休憩を挟みつつ、午前4時前に霊園に着いた。
東の空は明るくなり始めていて、次第に恐怖心も和らいだ。

 

安堵してばかりではいられない。
太陽は上り始めると早い。
撮影場所を決め、ふたりでしばし墓前に手を合わせ、撮り始める。
先ほどまでとは違い、少しいい感触の画が得られた。

 

ふたりで画をチェックし、ポージングや構図に手を加える。

 

どんどん空が明るくなると、露出が変わる。
画の印象も変わる。二三度撮るとずいぶん遠くの墓碑まで見えるようになった。

 

 

だめだ、時間がない。

もうあと一回で決めるしかない。

 

時計を見ると、日の出の時刻だった。
撮った写真を見る。それまでとは明らかに出来栄えが違った。

撮影終了を出川くんに告げ、最後にもう一度、俺たちは墓前で手を合わせ、礼を言った。

 

後日談になるが、第40回撮影を振り返るためのインタビューでDくんに話を聞いていた時に、今回(第41回)の撮影の話が出て、
彼は「Masashi さんが私を取った後に、風景とかと重ね合わせて行くんですが、その間、ずっと祈ってました。うまく行くように」と言っていた。

 

つくずくだが作品づくりはひとりじゃできないんだな、と思った。

 

そして、この写真を縁ある artmania cafe gallery yokohama のイベントで展示したのだが、その告知のためにつくったDMを掲して今回の制作記録は終わる。下の写真が霊園の夜明けがもたらした唯一の成功だ。

※実際は今回の「死後」というシリーズは、メインの写真1枚とサブの写真を1枚をワンセットで1作品とする形式なので、展示をご覧いただけると嬉しいです。

0005

50 No Reason 第40回撮影

40回目の撮影。当時ずっと精神状態がわるくて、それまでなら撮影後なるべく早く制作記録を書いていたのだけど、この撮影だけが記録できていなかった。個展まで時間がないなかで焦っていたこともあるのだろう。

 

ずっとずっと心残りだった。

 

撮影当日の記憶は今でも曖昧で。思い出そうとしても思い出せない。

 

そこで、2016年7月。少し前に制作活動を再開した俺は、意を決してモデルをしていただいたおふたりにお願いして4年ぶりにお集まりいただき、その当時のことを振り返っていただき、録音することにした。

 

しかし、その録音からも、また9ヶ月が経ってしまった。

モデルのひとりのDくんは故郷の青森へUターンしてから、はや半年が経った。もうひとりのYさんは、2017年2月のNo Reason 第42回の撮影にモデルとして再度ご登場いただいたのだが、この制作記録に手がつかず申し訳なかった。

 

単なる言い訳だが、録音後に俺を取り巻く環境が激変したため、なかなか手がつけられずにいた。

 

そしていま、おふたりの寛大さに感謝しつつ、その録音を聞き返しながら、5年ほど前の撮影の制作記録を書いている。

 

撮影は、2012年10月8日。

待ち合わせ場所は下北沢駅南口のマクドナルドだった。

俺とDくんは山本梢を通じて少し前に知り合っていて俺の個展に足を何度か運んでくれていたが、YさんはTwitterでモデル応募していただきその日が初対面だった。

 

個展に向けた最後の撮影で、モチーフは「ふたご座」。

なんとなくふたりの雰囲気に似たようなものを感じていたのと、ギリシャ神話をモチーフにした一連の作品では近親者の愛憎関係が多い世界観の中で不足していた、男性のゲイカップルを題材にしたかったからだ。

 

その日の撮影のことを振り返ってDくんは

「本当にMasashi さんのポージングを指示する口調がとてもきつくて怖いし、すごく嫌だった」

とのこと。Yさんは

「初めてお会いしたので、そういう方なんだな、と思った」

そうで。

 

インタビュー時に、なぜ俺が極度に神経質だったのか、理由を想像してあれこれ話しているのだけれど、その弁明を聞いても、今の俺はピンとこない(笑)

 

おそらく撮影時間はすごく短かったような気がする。

下北で駅近くの今はない跨線橋の階段で、暮れゆく秋の広い空を入れて撮りたかった。野外ロケに決めたのは、File:04に含まれる他の作品はスタジオ撮影が多かったためだろう。野外ロケなら当時愛着があった下北沢で、と思ったのかもしれない。

 

撮影当日は休日だったため人通りが多かった。ロケハンをしていたので撮影場所は決まっていたが、なかなか思うように撮れなかったように思う。いま作品を見ると、ストロボをバウンスさせて撮っているし、Dくんはワンピースを着つつ、胸がはだけている。とても目立っていたに違いない。

 

彼はとても苦痛だったようで、「Yさんは顔も小さいしスリムで背が高いのに、こんな人と一緒に撮られて、胸もはだけてるし」と振り返っていた。胸がはだけていることを最後に持ってくるあたりにDくんらしさを感じる。

ふたご座の物語は兄弟愛の物語。

いま作品を見ていると、とても初めて会ったふたりとは思えないぐらいしっくりくる。

Dくんは撮影するうちに「学芸会の”客がじゃがいもに見える”ようになるのと一緒で、そのうち気にならなくなりました」と言ってくれた。それは彼なりの俺への気遣いだと録音を聞いて思う。

 

 

またこのふたりに他の作品でモデルになって欲しいと思っている。

その時はなるべく早く制作記録を書こう。

 

[049] Gemini from No Reason File:04

去年のボツ作品とか

2016年の再始動以来、デジタルカメラを使いつつもアナログ的な手法で撮る、ということをずっとやってます。

で、2016年の6月に久方ぶりの新作を展示した時のボツ作品でどうしても記憶に残っているものがあって。ボツにした理由は「作品のコンセプトにそぐわないから」なのですが、絵的にはこっちのほうがずっとインパクトがあるし好き。

DSC_1973 0091

意味はわからないけど好きです。

モデル:宗山史
ヘアメイク:高橋塁
スタイリスト:近あづき
撮影:Masashi Furuka
2016年4月21日撮影

49 No Reason 第39回撮影

※この記事は2012年8月に書いた記事です。

実は、2011年の7月ぐらいに募集するモデルさんを絞った。
撮りたい画があったから。

いまも掲げているのだけれど、
★男性ゲイカップル
★年少者や児童の方、高齢者の方。
★ハーフの方
である。

Kさんは2011年10月の終わり頃にその募集をみてご応募いただいた。
韓国人と日本人のハーフで、応募の本文には、
「作品を拝見させて頂いて、とても心が震えました。」
と書かれていた。

2011年の秋頃は、オレもスタイリストの鈴木さんともなかなか都合が
合わなかったのだが、たまたま空いた日に新宿で顔合わせができた。

目鼻立ちのすっきりした美人である。
希望の死因などをきくと、メッタ突きにされたい、と答えられた。
愛情の分だけ憎悪も深まる。
業を受け止めるという強い意志の裏返しだと思った。

聞くと、Yちゃんという幼稚園に通う前の娘さんがいるとのこと。
ピンときて、Yちゃんにも出てもらえないかとお願いすると、
いいですよ、と快い返事をいただいた。

ただ、この頃は撮影日のめども立たず、撮影のモチーフは
できたものの、時は流れた。

撮影日が決まったのは、ちょうど、
Yちゃんが幼稚園の入園する頃だった。

明大前に、みんなが集まる。
この日はフジタヨーヘーさんの都合が悪く、急遽代役として以前に二度モデルに
なってもらった、あやねさんに記録をお願いした。

Yちゃんは、とても人懐こく無邪気でかわいい。
Natasukiさんのヘアメイク道具や、鈴木さんが用意した衣装、
オレが用意した小道具にことごとく興味津々で、すっかりみんなのアイドルになった。

そして、セットアップも完了し、
シュート開始。

だが、Yちゃんがなかなか思うようにじっとしてくれないw
Natsukiさんや鈴木さんがあやすも、なかなかのオテンバぶりだ。

「Yちゃん、おとなしくしないと、ママが生き返らないよ」

われながら非道な台詞を吐く。

「え、ママ生き返らないの?」
とYちゃん。

「そう。」
あくまでも冷淡だ。

Yちゃんが急に神妙な面持ちになり、目にうっすらと涙が浮かぶ。

その間もオレは冷徹なまなざしを母と娘に向け続け、
その瞬間にシャッターを切った。

後日談にはなるが、諸事情により、K さんとYちゃんは
一緒に住めないようになったことを聞いた。

心が痛む。

ただ、この作品の中にある母と娘の絆だけは、
その瞬間だけは、いまもここにある。