前にも書いたけど、SNSやマイクロブログより自分のブログってのは落ち着いてものが書けるなぁ、としみじみ思っている。タイムラインやアクティビティログってのはある意味便利だけど、「想いの記録」としては邪魔な情報が入ってしまうため、想いや精神状態がどうもあっちこっちに行っているような気がして、タイムラインといったものを読み返す気がしない。
なので、先日TwitterとFacebookに別個に記録した想いを、ここにまとめておこうと。
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もう数年前に、自分のなかで「写真とは」に対することばとして、腑に落ちることばを見つけた。それは、
写真とは見えるものを見えなくし、見えないものを見えるようにすること
だった。
すごく当たり前だけど、大事にしているオレなりの写真の定義で。写真を少し知っている人にもわかりやすいかな、と。
で、先日例によってぐだぐだツイートしていると、少しずつことばが出て来た。
森山大道先生は写真を化石と言ったが、オレにとってはもっと生々しいもの。指先を切ったときにじわっと滲む鮮血のようなもの。
http://twitter.com/No_Reason_photo/status/480342973628940288
あくまで隠喩なので「ああ、Masashi Furuka はグロも撮るもんな」と思ってもらいたくはないのだけれど、それはそれで仕方ないかw
少しだけ補足すると、化石のような乾いた感じではなく、生っぽい感じのほうが自分の写真らしいと思うから。そして写真は過去のある瞬間を閉じ込めたものとして留まるよりは、撮影した瞬間の「画」から、その後をも想起させるものであって欲しいから。
まぁこればっかりは上のことばを説明すれば片付く話でもないし、上のことばを理解してもらうことが目標でもないわけで。森山大道先生のお言葉はすごく正論だし、リスペクトしてます。念のため。
でも、上のことばが出てきたおかげで、また少し先に進める気がするのです。
撮るときの気持ちが変わるので。
こういうことばが出てこないと次ぎに進めない自分を相当に面倒くさい奴だと思う。そういえば、この春大阪に帰ったときも古くからの友達に「おまえ、ガチガチやもんなぁ〜」と笑われたっけw
ちょっと仕事での撮影以外に作品を撮るためにカメラを握る時間を持とうと思います。
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さてさて、オレの写真論とはまったく関係なく、開催が迫る舞月のイベント「土スペ」w
6月の土スペは今週末の28日!今月も昼の撮影仕事を終えてから会場入りするぜ!www