ありがとうございました!

先程、SPUMAでの展示を撤収してきました。
2ヶ月間渋谷のカフェという、今までに展示したことがない場所で、しかもとてもたくさんの人に作品を見てもらえる機会を持てたことが幸せです。

そしてそして、足を運んで見ていただいた方々、本当にありがとうございました。

当分カフェでの展示はしないと思います。
理由は明快で、いまつくっている「No Reason」が、飲食スペースには不向きな(笑)作品であること。
そして、その作品「No Reason」をテーマにして、当分作り続けたいと思っているからです。

つまり、「●●●を撮っているフルカワさん」と記憶していただけるぐらいまで、この「No Reason」を撮り続けたいと、いまは素直に思っています。

なお、明日か明後日ぐらいに、mixi内で「●●●●」が何かは判明します。

というわけで、これからの masashi_furuka の動向にご注目ください!

「No Reason」撮影初日。

昨日は、「No Reason」の撮影初日。
駒場公園で撮影した。

方向性を考えてから、1ヶ月も経たないうちにコンセプト、テーマ、撮る画、ヘアメイクさん、モデルさん、ロケ地などがほぼ固まり、撮影が始まるなんて、以前は考えられなかった。

くわえて、撮影がスタートするまでに、奇跡がいくつもあった。

ご協力いただいている方々、応援してくださる方に、本当に感謝しても、しつくせない。
だから、この作品は、納得がいくまで作り込みたい。

slightly loudness in my heart.
撮影の合間に。

次の作品のタイトルとコアメッセージ。

これから4月末にかけて撮影する作品群のタイトルと、
コアメッセージを、以下のようにした。

「No Reason」

たぶん、生きることに、死ぬことに、理由なんていらない。

このまま目をつぶると、二度と目が覚めない気がした。
生きる理由が見つからなかった。でも、死ねなかった。
死ぬ理由が見つからないまま、生き続ける。

たぶん、きっと、理由なんていらない。

最新2作品「the nameless world」と「sakura – style A」をピックアップ。

今回は昨日撮った(笑)中から2枚をピックアップ。
いずれも「art project frantic」のご協力で実現した撮影。オーナーの宮崎さん、ありがとうございました!
ボクに撮らせた理由がわかりました(笑)。
モデルは、「Blooming」のモデルをしてくれた ゆかりさん。

the nameless world
the nameless world
実はこの「frantic」というギャラリーは窓が広いことが特徴なのですが、
春になるとさくらが咲き誇るのです。現代アートギャラリーの無機質さを大切にして撮った1枚。

sakura - style A
sakura – style A
前日の土曜日にロケハンをして、撮ることを決めていた1枚。珍しく前ボケを入れているのと、鏡の写り込みを利用して構成。モデルのゆかりさんのやわらかさが、さくらと協調していて気に入っている。

ピックアップphotoでは、これまでのmasashi_furuka作品の中から作者のお気に入り写真を紹介しています。
写真をクリックすると、Flickrにジャンプします。

透明化する身体 => Inbisible Way

誤解を招く表現が含まれることを認識しつつも、書こうと思う。

写真を撮っていると、知らず知らずのうちに、
すごく撮ることに集中してしまい、
自分の身体感覚がほとんど無くなるときがある。

ほとんどと言うのは、
カメラをホールドする左手と、
シャッターを切る右人差し指だけには
かすかに感覚が残っているから。
もちろん聴覚ぐらいは機能してるけど 笑

視覚(オレは左目が極端な利き目)と脳と
右人差し指が直結していて、その他は
何もない
宇宙にでもいるかのような感覚。
これは一カ所に留まる撮影なら、
なおさらで、この感覚に包まれやすくなる。

といっても、人物撮影では、
オレはしゃべる(=言葉でコミュニケーションをとる)し、
無言のコミュニケーションをとることもある。
そして、再び撮りはじめると、途端にすーっと、
まるで安らかな眠りにつくかのように感覚に包まれる。

眠りという表現は適切ではないかも。
身体感覚は決してゼロにはならないし、
取り戻すのは一瞬でできるから。

ムリヤリ例えれば、
意識が身体という器に満たされた液体だとして、
その液体が凝縮しつつ視覚神経と
脳あたりに集まって、
液体がない身体=器の部分が
透け見えている……そんな感覚。

液体がない部分を何かが
通過していくのを感じることができる。
透明化しているというか、形はあるのだけれど、
存在を認識していない、という、とてもヘンな感覚。


街撮りでは、オレは森山大道先生よろしく
スタスタとひたすら歩きながら
撮るということをする。
このときの感覚は、
どんどん液体が、
器の内側にびっしりと張り付いて、
身体の表面(つまり皮膚)が
とても鋭敏な感覚器になる。

背後にも目が付いているというと、
おおげさだけど、なんかしらの感覚が
信号を送っているのを感知して撮る。
ただひたすらに歩き、
そしてひたすらに撮る。

森山先生は著書「犬の記憶」のなかで
「擦過する」と表現している感覚は、
オレはすごくわかる。
たとえは悪いけど、
ガンダムでいうニュータイプみたいな 笑

<参考>2007年10月4日の「デザインフェスタへの道」
http://blogs.yahoo.co.jp/masashi_furuka/4226358.html

この感覚はすごく楽しいけど、
とても孤独な作業だし、
時間がかかるし、疲れるし。
作品の善し悪しを保証してくれるわけでもない 笑

最近してないな、街撮り。

撮らせていただいた人によく言われるのは、
撮られていることが気にならなくなる、とか、
フルカワさんの気配が薄くなる、とか、
リラックスできるとか、
自分が出せるとか、とか、とかとか。

人物で撮った写真を見て言われるのは、
距離感が独特だ、とか、
よく初対面でこんな表情撮れますね、とか、
女性が女性を撮った写真ですね、とか、
いい雰囲気ですね、とか、とかとか。

だから、オレは写真を撮り続けるし、
撮り続けられる、と思ってる。