※この記事は2012年8月に書いた記事です。
実は、2011年の7月ぐらいに募集するモデルさんを絞った。
撮りたい画があったから。
いまも掲げているのだけれど、
★男性ゲイカップル
★年少者や児童の方、高齢者の方。
★ハーフの方
である。
Kさんは2011年10月の終わり頃にその募集をみてご応募いただいた。
韓国人と日本人のハーフで、応募の本文には、
「作品を拝見させて頂いて、とても心が震えました。」
と書かれていた。
2011年の秋頃は、オレもスタイリストの鈴木さんともなかなか都合が
合わなかったのだが、たまたま空いた日に新宿で顔合わせができた。
目鼻立ちのすっきりした美人である。
希望の死因などをきくと、メッタ突きにされたい、と答えられた。
愛情の分だけ憎悪も深まる。
業を受け止めるという強い意志の裏返しだと思った。
聞くと、Yちゃんという幼稚園に通う前の娘さんがいるとのこと。
ピンときて、Yちゃんにも出てもらえないかとお願いすると、
いいですよ、と快い返事をいただいた。
ただ、この頃は撮影日のめども立たず、撮影のモチーフは
できたものの、時は流れた。
撮影日が決まったのは、ちょうど、
Yちゃんが幼稚園の入園する頃だった。
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明大前に、みんなが集まる。
この日はフジタヨーヘーさんの都合が悪く、急遽代役として以前に二度モデルに
なってもらった、あやねさんに記録をお願いした。
Yちゃんは、とても人懐こく無邪気でかわいい。
Natasukiさんのヘアメイク道具や、鈴木さんが用意した衣装、
オレが用意した小道具にことごとく興味津々で、すっかりみんなのアイドルになった。
そして、セットアップも完了し、
シュート開始。
だが、Yちゃんがなかなか思うようにじっとしてくれないw
Natsukiさんや鈴木さんがあやすも、なかなかのオテンバぶりだ。
「Yちゃん、おとなしくしないと、ママが生き返らないよ」
われながら非道な台詞を吐く。
「え、ママ生き返らないの?」
とYちゃん。
「そう。」
あくまでも冷淡だ。
Yちゃんが急に神妙な面持ちになり、目にうっすらと涙が浮かぶ。
その間もオレは冷徹なまなざしを母と娘に向け続け、
その瞬間にシャッターを切った。
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後日談にはなるが、諸事情により、K さんとYちゃんは
一緒に住めないようになったことを聞いた。
心が痛む。
ただ、この作品の中にある母と娘の絆だけは、
その瞬間だけは、いまもここにある。