あきらめることとあきらめないこと。

いろいろな想いがオレの中にはある。

誰の中にもある。

ただただ、愛がある人には誠実な態度で真摯に向き合わなくてはいけないと、
心に刻んでいる。

裏切られたことがあるなら、
多かれ少なかれ、そういう想いはあるはずだ。

性善説と性悪説ではなく、倫理として。

咲夜、あきらめることとあきらめないことを共存させる方法がわかった。

それは収穫なのだと思う。