邂逅

スティーブ・ジョブズが亡くなった。

昔からパソコンの類いは好きで。

小学生の頃は、友達がシャープ X1を持っていて、
ザナドゥとかやってた。
記録媒体はテープねw

あと、ファミリーベーシックねw

中学生の頃は、MSXを入学祝いに買ってもらって、
ほとんどゲームばかりしてた。

小中学生の頃は、日本橋(大阪の一番の電気街)へ、
チャリで40分ぐらいかけて、通ってた。
たまに友達と一緒だったけど、ほとんどひとりだったなぁ。

一方で、ポケコン(関数電卓の発展版)にもハマって。
PB-80という廉価版を使って、本を買っては、
プログラムを入力して、ゲームとかしてた。

この頃、何度かプログラムをカスタマイズしようと、
試みるが、何度も失敗を繰り返し、
後々の「オレはプログラミングができない」という
トラウマが確立した。

なにせ家は自営業で、裕福ではなかったので、
日本橋へ行っては、いろいろ見るのが楽しかった。

高校のときは、一年のときだったけか、
杉本くん(笑)の家で、何か忘れたけど、
ゲームをPC98シリーズでやらせてもらってた。

なぜか、杉本くんのお母さんが、近くの
モスバーガーを振る舞ってくれてw

高校、大学時代はパソコンは持ってなかった。
大学の般教で、FORTLAN(?)を習ったけど、
友達の丸写しだったような…

そして、大学をドロップアウトしてフリーター時代。

バイト先の城田くん(院生)が、おもしろいものがあるから、
城田くんの研究室に行こう、と言い出した。

辞めた大学の門をくぐるの嫌だな、と思いながらも、
夜に無理矢理連れられて行った。

そこにあったのは、パソコンの画面に映った
パツキンでパイオツカイデーのヌード写真。

「なにこれ?」
って聞くと、
「これは、インターネットって言うんだ」

オレと一緒に潜入した岡本くんも
目を白黒させて、ふたりで
「インターネットっておいしいの( ´ ▽ ` )ノ?」
と聞いた(嘘)。

たぶん、ネスケの1か2だと思う。
映画のMATRIXの冒頭に出て来るようなねw

それから数年後に、SEGAがドリームキャストを発売。
そのときセブンイレブンでバイトしていたオレは、
なぜか予約が一台余った、とのことで、
それを買ってしまう。

そう湯川専務のCMねw

その頃には、PowerMacでネットしてるやつもいたり、
ドリキャス同士がいたので、聞いてみると、
「テレホーダイ」
というものがあるという。

照れ放題、ではない。

その昔、ダイヤルQ2で多額の請求をこうむった事がある
オレはその後、固定電話ではなく、携帯電話やポケベルを
信用して使っていた。

今でいうパケホーダイみたいなもので、電話料金が定額に
なるのである。

ただし、時間は決まっていて、23時から午前5時まで。

当時はプロバイダーに接続するのは、ダイヤルアップ接続が
主流だった。

テレホタイム。
熱かったなぁ、みんなその時間に集中してアクセスし始めるのねw
懐かしいなぁー

で、しばらくドリキャスでエロ画像を堪能していたのだが、
次第に不自由を覚えるようになった。

そして、ある日。
ゲーセンのバイト仲間(コンビニとゲーセンのバイトを掛け持ちしていた)から、これ良いよ!
と言われたのが、iMacだった。

たぶん、Rev.cだったと思う。
ボンダイブルーではなく、色鮮やかな5色のまん丸いデザイン。

進められるまま、友達について来てもらい、
京都の寺町(四条より南は電気屋街だった。今は寂れている)で
ローンで購入。

1999年の5月ごろだったと思う。

それから狂ったように、ネットをしまくり、
アングラサイトに行ったり、
mp3をダウンロードしまくったりw

テレホタイム内に終わるかドキドキしながらw
熱かったなぁ。

そしてHTMLを覚えて、自分のホームページを作った。
その頃のMacのOSは8.51だったと思う。

当時のOSは機能拡張コンフリクトを自分で解決したり、
フリーウェアでコンテクストメニューを追加したり、
とにかくOSのコアの部分以外を自分でいじることができて、
それがWindowsのレジストリとかとは違って使いやすい、
と思っていた。

それよりも何よりも、大きかったのは、
今は無き「iMac倶楽部」という一応アップル公認の
ユーザーコミュニティのスタッフの一員になったことだ。

機能拡張やさまざまなトラブルの解決法を覚えていったオレは、
お悩み解決者として掲示板で回答しているうち、
徳さん、という「iMac倶楽部」の主催者の人に目を付けられ、
スタッフとして手伝って欲しい、と言われ、承諾した。

その後、定期的に開催されるオフ会に参加し、
知り合いも増え、ユーザーコミュニティが集まる
名古屋での大集会に行ったりした。
(知らなきゃモグリのMacお宝鑑定団の団長にも会った)

一方で、Webデザイン、CGIなどいろいろなことを
独学で勉強し、普通の人よりはWeb制作に詳しくなった。

大阪で失敗したベンチャー企業の手伝いも、
その腕を請われてのことだ。

とある紹介で請け負った仕事が70万円ぐらいで、
そこで、始めてのWindows機VAIOノートを買う。
最初は検証用とモバイル通信(携帯電話でダイヤルアップ接続)のつもりだった。

そして、諸々あって、26の時に東京に出て来て、
今の会社に就職した。
会社ではWindowsだったし、次第に自分でデザインする
時間もなくなり、iMacはお蔵入りになってしまった。

Mac OS X が出て、オレのiMacではメモリが足らず、
とても重くなる、のもMac離れの一要因だ。

その後、何度かWindowsマシンを買い換える。
VAIOはきっちり、ソニータイマーが働き、
5年で電源がイカれた。

その後は、NECで三台買った。

Windowsのソフトも買っていたし、
いまさらMacを使うことにメリットを
感じなかったからだ。

しかし、いまここで、こうして東京にいる素地ができたのは、
紛れもなくiMacがあったからだ。

そして、いまメインPCのDVDが逝った。
外付けのドライブはとても面倒だ。

処理速度にも限界を感じていた。
購入から3年少し。型落ちだったこともあるけど。

どんどんiTunesが遅くなる。
イライラする。

そして、ジョブズの訃報が届いた。

初心に帰ろう、という気持ちではない。

ただ、いまこうして、ここにいるのは、
iMacを通じてさまざまな出会いと機会を与えてくれた、
そのお礼にオレは今日、
狂ったように衝動で、
iMacを買い求めた。

今もオレの部屋には、ライムグリーンのiMacがある。
10年以上振りの新しいiMacとの邂逅だ。

ありがとう、スティーブ=ジョブズ。
世界のたくさんの人々に恩恵を与えたあなたは、
歴史に確かに刻まれた。

さようなら、また会いましょう。

それまで、ただただ安らかに。

R.I.P

masashi_furuka