絵露愚乱末世のはじまりを振り返って

2010年の12月、俺はFTPS(正式名称:Flickr Tokyo Photo Session)という写真共有サービスの草分けFlickrのグループの浅草でのオフライン・ミーティングに参加した。FTPSを主宰していたZERO Stage氏とほか何人かと、外は寒いし、そんなに慌てて街頭スナップを撮って周ることもないだろう、といいつつ、せっかく浅草にいるのだからと神谷バーで電気ブランを飲みはじめた。

そのとき「世に出せない写真があるのだけれど、いつもどうしようかと思う」という話がでた。あまりはっきりとは言わないが、どういう写真かはみなさんの想像にお任せするとして。何よりも重要なのは、断じてそれらはアートだということで(本当にここは重要!)。

誰かに見せる機会もないし、ましてやオンラインにアップロードするのもちょっと違う気がする。

ならば、「それらを展示できる機会をつくろうではないか」とふたりが意気投合し、じゃあエロだけではつまらないし、エログロぽい作品をつくる作家仲間や知り合いも多いのでみんなに協力してもらってエログロのグループ展をやろう、とプロジェクトが立ち上がった。

書いてしまうと、いたって普通だな(苦笑)。

まぁ、でも重要なのは、「機会がないならつくればいい」という発想とそれを実現する企画力と実行力
当時から現在でもエログロをテーマとした展示やイベントはあるわけで、われわれが新たに立ち上げるエログロのグループ展をどのようなコンセプトとテーマでやるか、というのが肝だった。

コンセプト自体はすぐに決まった。
なんてことはない。「18禁コーナーのあるエログロ展」だ(また身も蓋もない…w

しかしテーマをつくっている段階で東日本大震災が起き、それこそ社会状況はヒッチャカメッチャカになってしまった。自粛ムードが世間を覆ったが、結論としては、われわれは新規のエログロ・グループ展だし社会に広く知られているわけでもないし、知られようとしているわけでもない。ならば開き直ってやるしかないよね、とw

そこで、出来上がったのがキャッチコピーやDMのビジュアルイメージだった。
さまざまなジャンルの作家が集い、カオスのような展示にしたい。そのためには開き直って勢いをもって進むしかない。その当時は、そう思っていた。

エログランマッセ 絵露愚乱末世

2011年8月。ヨコハマにディープインパクト。

 

放射能がなんだ。オレたちにはエログロがあるじゃないか。

家から出て勃てよマスラオ、枕ではなく股間を濡らせよオトメ。
新進気鋭の作家達が、イマを、みらいを、誘惑する。

 

■本企画展の狙い

ポストモダン社会と呼ばれる現代では、過去に「サブカルチャー」と呼ばれていたものと「メインカルチャー」の優劣がほぼなくなりつつあります。

一方、現代美術という枠組みは曖昧さを孕みつつ、多用な表現を取り込みながら巨大化し、カオス化しています。

そのような中、あえて「サブカルチャー」の中でもメジャーな部類に入ると思われる「エログロ」というジャンルを再度見直し、新たな解釈と表現で「エログロ」の未来を探ろうとするのがこの展示の狙いです。

 

■本企画展の概要

本企画展では、総勢16名の作家が、イラストレーション、ペインティング、写真、ミクストメディアの立体、ポエトリー、人形などさまざまな作品を展示します。

展示場所は、再開発後若手アート作家達が集まりはじめている横浜の黄金町・日ノ出町・野毛エリアにある、民家を改造し2010年10月にオープンしたばかりの新進気鋭のカフェギャラリー「artmania cafe gallery yokohama」です。狭くかつ立体的な独特の建造物で16名の作家が、所せましと繰り広げる「エログロ」の新境地をぜひ、ご高覧いただき、講評を賜りたく、ご案内申し上げます。

b8ea215e82267de175314b83716f6ed2

73bf3f625b6abeab180d1b9190d16aa8

絵露愚乱末世公式ブログ : http://eroguro.grats.jp

絵露愚乱末世4のステートメント

「絵露愚乱末世4に寄せて」 イラスト:星之杏奈

この数年、FacebookやTwitterなどいわゆるソーシャルメディアに対するもやもやした想いをずっと抱えていたのだけれど、雑誌「考える人」に掲載されていた詩人最果タヒさんのエッセイがこの霧を晴らしてくれた。俺と同じような想いを的確に言語化し、さらには創作と独自性に立脚した個々人の存在価値を明らかにしたうえで、安易にわかったとしてしまうソーシャルメディアを通じたコミュニケーション(実のところソーシャルメディアに限定してしまうのはかなり野蛮な解釈だが)に「わからないぐらいが、ちょうどいい」と言い切るかたちで疑問を呈していた。

俺は彼女の名文に、光明を見出し、勇気をもらった。

時を同じくして、2012年9月以来、開催を凍結していた絵露愚乱末世というエログロをテーマとしたグループ展を、また開催しようという話が関係者のあいだで持ち上がった。おそらく表立ったところには書いていないが、前回の絵露愚乱末世の後、俺は二度とこのグループ展を開催したくない、と周囲に漏らしていた。

現在でこそ、よく見るようになったが、2010年前後のグループ展はギャラリーが企画・主催・運営するものが多かった。そのような中で作家自身が出展作家を集め、企画し、展示場所を探しあて手配し、告知・宣伝・集客し、搬入・展示するまでをスムーズに進行するためには、多大な労力と時間が必要だった。簡単に言えば、割に合わなかった。それが凍結の大きな理由のひとつだ。

そこから開催するまでにいたった理由を語るのは別の機会に譲ることにして、ここではステートメントを紹介して筆を置くことにする。

■絵露愚乱末世4 ステートメント

美と快楽を追求していただけなのに、いつの間にか政治家の顔や夕飯、知らない人の笑顔、唐突な広告などで画面が埋め尽くされてしまい辟易したことはありませんか。利用者のための利便性という名目で、知らず識らずのうちに私たちが目にする検索結果やSNSのフィードは非公開のアルゴリズムにその優先順位を変えられてしまい、非常に偏った情報しか得ることができなくなっています。私たちが胸を躍らせて飛び込んだ電脳の世界はいまや閉塞感と倦怠感に満ちています。

それとともに、より多くイイネを得るために、より多くシェアされるために、加工された情報がもてはやされています。ただつながっていたいだけなのに、ただ連絡を取り合えるだけで心安らぐのに、独自性の一部を削り落とすことが目的ではなかったはずなのに。数の論理に取り込まれるような友人関係など欲していなかった。誰かに伝わってほしい、気付いてほしいと発した一言が届かないことがあるなんて思いもしなかったーーー。

今回で4回目となる本グループ展では、エログロというモチーフを通して、そのような世界でも独自性を育み創作し続けている実力派の作家達の表現を一堂に集結。スマホやパソコンのスクリーンでは体験することが難しい世界観を、イイネやシェアの数では計り知れない魅力を、誰かに届けと想いを込めた作品を。
横浜みなとみらい地区と線路を隔てた野毛地区にて存在感を発揮する古民家を改造したギャラリー「artmania cafe gallery yokohama」全館に展開するこの展示を通じて、貪欲なほどリアルに提供したいと考えています。

「絵露愚乱末世4に寄せて」 イラスト:星之杏奈
「絵露愚乱末世4に寄せて」 イラスト:星之杏奈

絵露愚乱末世公式ブログ : http://eroguro.grats.jp

感想も反省もクソもないと思ってしまったw

先週の土日に、artmania のイベントに参加し3年半ぶりに展示した感想とか想いとかを書き留めておこうと思っていたのだけれど、自分としては制作期間や作品の出来栄えに良い意味でも悪い意味でも納得していることに気づいて、やっぱり止めた!(笑)

言い訳がましくなるのも嫌だし。

ともかく、お忙しい中、2日間という短い会期にもかかわらず、横浜へ足を運んでいただいた友人知人の皆様、本当にありがとうございました。一緒の時間を過ごせたことに感謝しています。

また、イベント前後でご都合悪く来られない方からも、多数の励ましや無念のメッセージやコメントをいろんなメディアでいただきました。何度涙したことか。今後もNo Reason の新シリーズ制作を続け、いつの日か、また展示したいと思っています。その時にお会いできることを楽しみにしています。

Masashi Furuka “2nd Act” in yokohama art apartment

プリントと対峙する時に思うこと。

今日は展示に向けたプリントのチェックをしたのです。今回のプリントは未撮影のものがある段階から相談しつつ、少しずつデータを渡すことになってしまい、イーストウエストさんにはご迷惑をおかけしました。にもかかわらず、いつもながら担当のTさんには懇切丁寧にご対応いただきました。まずはお礼を申し上げておきたい(まだ2枚ほど残っているけどw

で、今日ブログに書こうと思ったのは、プリントチェック時に思ったことと、なぜプリントを専門家に依頼するかということを、すべて書き切れないだろうけど、少しだけでも残しておきたかったから。前回とは打って変わって現実的(笑)な話題だけれど、興味のある方はお付き合いください。

まず、なぜプリントを専門家に依頼するかについて。

そもそもNo Reason の3回目の個展までは自宅でプリントしていた。プリンタはEPSON の PX-5500。9色インクを使用する MAX ART というシリーズ。2000年代半ばに結構売れたので、ご存知の方も多いと思う。用紙も初めの頃は、EPSON のクリスピアという超光沢で、いろいろ試した後、No Reason シリーズではPICTRANの「局紙」を好んで使っていた。展示の回数にして10回以上。点数は数え切れない(苦笑)。

そのうち展示を続けるにしたがって、毎回新作を展示することを信条としていた俺はいくつかの課題を感じるようになった。列挙すると、「プリントサイズの限界」「何度も試し刷りをするコストと手間」「ひとりでプリントする限界」が主な課題だ。

プリントサイズの限界については、PX-5500 はA3ノビまで印刷できる。やっかいなことに写真というのはプリントサイズが違うと見え方が大きく変わる。たとえば、古い個展だと、こういう展示もした。

No Reason File01

とはいえ、上は特別な場合(笑)でロール紙のプリントを3枚横に並べていて。その後、No Reason の4回目の個展では、メインのプリントのサイズをおよそA2サイズにしたのであります。一点一点を大きくして細部も大きく見やすくしたくなったのです。

704172_512213998803375_1323444328_o

また、「何度も試し刷りをするコストと手間」については、必要経費は外注化したほうが絶対に安いです。計算してみたらすぐわかる。自分でプリントするほとんどの人は自分の出したい色や絵に近づけるためにプリントをみては直し、データを調整したりプロファイルを変更したりしてると思います。俺もそうでしたが、展示を重ねるとその手間を省きたくなったのです。

展示前には時間を作るために自分の他の仕事を片付けたりしないといけないし、一番大事なのは「宣伝」「告知」だったりします。有名ではない身としてはね(苦笑)それに、今回みたく、プリントする時間を撮影する時間に充てることもできる。

最後に「ひとりでプリントする限界」ですが、やはりプリント段階においても第三者の眼や意見が入る余地があったほうがいいと思っています。何度もこのブログなどで書いているように、そもそも俺が作品を制作する過程で他人が関与しないことは少ないので。

ただ、冒頭話したように、プリントを外部に依頼することでチェックする時にいろいろ気づいたり思うことがいろいろあるのです。例えて言うなら、「自分の中学生の子供が部活合宿に行って、一週間会わないうちに帰ってきたら、ちょっと変わって見えた」みたいな感じ。いや、俺、子供もいないし独身ですがね(笑)

その時にチェックする観点っていろいろあるけど、詳しく書くと長くなるので割愛しますが、むかし会社員だった頃にディレクターとして蓄積した経験がすごく活きていて。まぁ、上の例えに沿って言えば、「合宿前と後で、何が変わったか変わってないかを、長所と短所を挙げ連ねて確認」しています。

「少し背が高くなった?」
とか
「なんだか少し大人になった?」
とか
「少し痩せた?」
とか
「顔のラインがシャープになった?」
とかとか。
印象的な部分が重点的ですが、細部の見え方もチェックします。

でも、このようなことって、自分でプリントしていると、ついつい「自分が気にしているところ」しか見えなくなって、偏った(部分的な)調整をしてはプリントするということを繰り返して泥沼に・・・となったことが俺にあったかどうかは忘れてしまった(笑)のだけれど、そういうことは「プリントを専門家に任せれば防止できる」のです。

まぁ、いろいろ書きましたが、結論的には、人それぞれ考え方もやり方も違うので、好きなようにすればいい(笑)と思いますが、写真を撮り続けるなら一度はプロラボにプリントを依頼してみることをお勧めします。

妄想猛走

6月18日(土)19日(日)の展示まで、あと1週間となりました。DMはどれだけの人の手元に届いただろうか。郵送した方はポストから取ってくれただろうか(笑)
見知らぬ方で手に取り、家に持って帰ってくれた方はいただろうか。

昨日一昨日と某公園で撮っていると、いろんなことや光景が脳内にフラッシュバックしてくる。時々休みつつ、フラッシュバックした人の姿を宙に追ってみる。若くして亡くなった人がいる。連絡がつかない人もいる。さまざまな光景が浮かんでは消える様はムービーというより、幾重もの多重露光のように相互に干渉しあい、やがては白く消えていく。

ボツ0061

小さな世界に意識も記憶も吸い込まれてゆく。

時間感覚はその渦潮に飲み込まれ、自分の存在を感覚することすらおざなりになった後、視覚だけが呼吸をする。血は固まり脈は今しがたの雨のごとく土を打ち続ける。

帰る場所を失った四肢。

写真は光の化石という生やさしいものではなく、地層のようなものだと最近は思う。
活断層や深層にマグマを湛えた地層。化石は浅い地層にしかないじゃないか。表面にはうっすらと流された汗や涙が。

写真はどこへ行くというのか。