この数年、FacebookやTwitterなどいわゆるソーシャルメディアに対するもやもやした想いをずっと抱えていたのだけれど、雑誌「考える人」に掲載されていた詩人最果タヒさんのエッセイがこの霧を晴らしてくれた。俺と同じような想いを的確に言語化し、さらには創作と独自性に立脚した個々人の存在価値を明らかにしたうえで、安易にわかったとしてしまうソーシャルメディアを通じたコミュニケーション(実のところソーシャルメディアに限定してしまうのはかなり野蛮な解釈だが)に「わからないぐらいが、ちょうどいい」と言い切るかたちで疑問を呈していた。
俺は彼女の名文に、光明を見出し、勇気をもらった。
時を同じくして、2012年9月以来、開催を凍結していた絵露愚乱末世というエログロをテーマとしたグループ展を、また開催しようという話が関係者のあいだで持ち上がった。おそらく表立ったところには書いていないが、前回の絵露愚乱末世の後、俺は二度とこのグループ展を開催したくない、と周囲に漏らしていた。
現在でこそ、よく見るようになったが、2010年前後のグループ展はギャラリーが企画・主催・運営するものが多かった。そのような中で作家自身が出展作家を集め、企画し、展示場所を探しあて手配し、告知・宣伝・集客し、搬入・展示するまでをスムーズに進行するためには、多大な労力と時間が必要だった。簡単に言えば、割に合わなかった。それが凍結の大きな理由のひとつだ。
そこから開催するまでにいたった理由を語るのは別の機会に譲ることにして、ここではステートメントを紹介して筆を置くことにする。
■絵露愚乱末世4 ステートメント
美と快楽を追求していただけなのに、いつの間にか政治家の顔や夕飯、知らない人の笑顔、唐突な広告などで画面が埋め尽くされてしまい辟易したことはありませんか。利用者のための利便性という名目で、知らず識らずのうちに私たちが目にする検索結果やSNSのフィードは非公開のアルゴリズムにその優先順位を変えられてしまい、非常に偏った情報しか得ることができなくなっています。私たちが胸を躍らせて飛び込んだ電脳の世界はいまや閉塞感と倦怠感に満ちています。
それとともに、より多くイイネを得るために、より多くシェアされるために、加工された情報がもてはやされています。ただつながっていたいだけなのに、ただ連絡を取り合えるだけで心安らぐのに、独自性の一部を削り落とすことが目的ではなかったはずなのに。数の論理に取り込まれるような友人関係など欲していなかった。誰かに伝わってほしい、気付いてほしいと発した一言が届かないことがあるなんて思いもしなかったーーー。
今回で4回目となる本グループ展では、エログロというモチーフを通して、そのような世界でも独自性を育み創作し続けている実力派の作家達の表現を一堂に集結。スマホやパソコンのスクリーンでは体験することが難しい世界観を、イイネやシェアの数では計り知れない魅力を、誰かに届けと想いを込めた作品を。
横浜みなとみらい地区と線路を隔てた野毛地区にて存在感を発揮する古民家を改造したギャラリー「artmania cafe gallery yokohama」全館に展開するこの展示を通じて、貪欲なほどリアルに提供したいと考えています。
絵露愚乱末世公式ブログ : http://eroguro.grats.jp