写真展「セツナイ太陽」スタートだ!

お待たせしました!
ついにmasashi_furuka写真展「セツナイ太陽」が、百音@高円寺にて、始まりました!

いやぁーめでたい!
O(≧∇≦)o

日曜からろくに寝てない(写真のせいではない)ので、釘を打つ手は震える、冷や汗がしたたり落ちて、水溜まりができるなど、大変な修羅場と化していたのですが、超ほんわり美味しいジンジャーミルクで、百音は平穏を取り戻したのであります。

めでたし、めでたし。


事前のご案内にて、サブ写真50枚とお伝えしておりましたが、諸々の事情により減らしております。
それでも楽しめる展示にはなっておりますので、ご了承願います。

あと、「京都情景」「Alices」、最近カンタン自己紹介用に使っているポストカードサイズのポートフォリオが、みなさまのお越しをお待ちしております。

本日から、9月7日まで開催中!!

セツナイ太陽について 2

ふとした瞬間にまぶしく感じる光。濃さを増す、心に落ちる影。

上の言葉は、セツナイ太陽のキャッチコピー的なもの。
心という言葉でわかる通り、「光」「影」は、なにも視覚的なものだけを意味しているわけではない。

自分の存在を証明することは、自分独りだけでは不可能で、必ず他者が存在してはじめて自分の存在が「証明される」と、オレはいつも考えている。

そう、鏡に映った自分を見てはじめて、自分の顔を認識できるように。

人と人との関係は、心の交流は、光と影のように、照らす光が反射したり、吸収されたり、影を落としたり。

そういうものだと思っている。

(つづく)

セツナイ太陽について 1

展示の構想がほぼ固まったので、少しずつだけど「セツナイ太陽」に込めた想いを書いていこうと思う。

自己の肯定と否定を繰り返すなかで、いつも浮き彫りになるのが、自分を信用していないという事実。
その一方で、人からの信用や期待に応えようと反射的に動く自分が好きでもあり、嫌いでもあるという身勝手。

森山大道先生風に言えば、「のっぴきならない」心境にいつも揺られながら、そのような状況を容認しようと、他者にすがろうとしているくせに、そういうところでは素直じゃなくて、ただ単に流されているだけのように感じる。

ただただ感じるままにシャッターを切り、記録される風景に映り込む自分や、現実ばなれしていく映像に投影される疲労感を否定することも肯定することもできない。

それでもなお、撮りたい、と思うのはなぜだろうか。
ふとした瞬間、その場所にしかない空気と光に感応する。ただ、本当に、動物的な、それでいて人間的な、視覚と思考と神経が直結する瞬間。

少しの官能とともに、それと同じ質量の影が心の中に、スッと音を立てて立ち上がるのを感じる。

写真に写り込む被写体の光と影に、しばらくの間こころ奪われつつ、オレの心の光と影がただただそこに存在することだけを認識する。

で、それらは、なにも特別な場所や時間、人でなくてはならない、ということはない。
オレだけが特別な存在ではない。

つまりは、誰しも日常というかけがえのない瞬間を積み重ねていて、それぞれが特別なのであって、それが人生なんだと思う。

(つづく)

サービス、サービス!

一部の人にはお伝えしたが、今度の個展「セツナイ太陽」は、メイン写真が約20点、サブ写真が約50点で、それらがほぼ全て新作という、まさに盆と正月とクリスマスと阿波踊り(高円寺だから)が、一度に来たような展示なのであります。
これも一重に「サービス、サービス!!」というガイナックスの某アニメの如く、ご覧になる方に楽しんでいただきたいがためであります。はい。

すでにレイアウトは、ほぼ決まっていて、写真を見返し、ただただ悶々としています。

結局盆休みは、急遽予定が変わって、東京にいることになり、作品を作りたかったのだが、ポートフォリオ展の展示風景を撮り忘れてたので、デザインフェスタギャラリーへ。
イト菌さんは、毎日来られているとのことで、頭が下がる思いでした。
岡本太郎現代芸術賞に応募されるとのことで、応募写真を撮影させていただくことを申し出た。
http://taro-okamoto.or.jp/taroaward.html

実はスナップ用の装備と、展示ライトを動かして撮ったのだが、オレが納得するように撮れなかったので、フル装備で翌日撮り直しさせていただいた。

プリントしてデータをお渡しする、という純粋な奉仕。

サービス、サービス!