セツナイ太陽について 3(最終回)

もう会期がないので、セツナイ太陽の重要なポイントをいくつかお伝えすることで、作品説明を終えようと思う。

▼メインとサブの2ラインである
メイン写真群は「オレと誰かのセツナイ太陽」で、サブ写真群は「オレの中のセツナイ太陽」である。

▼フラットな展示
メイン写真群はA3判、サブ写真群はL判で揃えている。いつもなら強弱をつけるために大きさを変えるのだが。
今回はメインとサブにしか大きさの違いはない。

▼生っぽさ
7月に百音で展示されていたHARUさんの展示方法にヒントを得て、フレームに入れずに、虫ピンで壁打ちした。作品と見る人の間に空気しか存在しないようにして、印象に生っぽさを与えたかった。

▼masashi_furukaらしいポートレートとmasashi_furukaらしいスナップの融合
これが今回の「セツナイ太陽」でオレが自分に課した個々の写真の目標。
何枚かは実現していると自分では思っているが、誰にも指摘されないので失敗かも 笑

▼セツナイ太陽とは
オレの中では一つの解答があるけど、見る人が感じるセツナイ太陽があれば、それでいい。
それぐらい自分から突き放してもいいと思える作品にした。

最後に
その時、その場所でしか、できない展示がある。
夏の終わりに、百音で、セツナイ太陽。

(了)

セツナイ太陽はあと4日

光陰矢の如し。
時が経つのは本当に早くて、masashi_furuka写真展「セツナイ太陽」も残すところ、あと4日。
一部では、けっこう好評なので、興味のある方はぜひとも、この土日に足をお運びいただきたい。

「セツナイ太陽」は、7日の日曜日が最終です。

クローズドで行われた写真展パーティは、とても楽しく有意義で、主役にあまりなったことがないオレはかなり恥ずかしくもうれしい数時間だった。

パーティについては書き残したいことが山ほどあるけど、心の中にしっかりと残して置きたい。

ご出席いただいたみなさま、本当にありがとうございました。
死んでも忘れられない日になりました。

写真展「セツナイ太陽」スタートだ!

お待たせしました!
ついにmasashi_furuka写真展「セツナイ太陽」が、百音@高円寺にて、始まりました!

いやぁーめでたい!
O(≧∇≦)o

日曜からろくに寝てない(写真のせいではない)ので、釘を打つ手は震える、冷や汗がしたたり落ちて、水溜まりができるなど、大変な修羅場と化していたのですが、超ほんわり美味しいジンジャーミルクで、百音は平穏を取り戻したのであります。

めでたし、めでたし。


事前のご案内にて、サブ写真50枚とお伝えしておりましたが、諸々の事情により減らしております。
それでも楽しめる展示にはなっておりますので、ご了承願います。

あと、「京都情景」「Alices」、最近カンタン自己紹介用に使っているポストカードサイズのポートフォリオが、みなさまのお越しをお待ちしております。

本日から、9月7日まで開催中!!

セツナイ太陽について 2

ふとした瞬間にまぶしく感じる光。濃さを増す、心に落ちる影。

上の言葉は、セツナイ太陽のキャッチコピー的なもの。
心という言葉でわかる通り、「光」「影」は、なにも視覚的なものだけを意味しているわけではない。

自分の存在を証明することは、自分独りだけでは不可能で、必ず他者が存在してはじめて自分の存在が「証明される」と、オレはいつも考えている。

そう、鏡に映った自分を見てはじめて、自分の顔を認識できるように。

人と人との関係は、心の交流は、光と影のように、照らす光が反射したり、吸収されたり、影を落としたり。

そういうものだと思っている。

(つづく)