自分の弱さと醜さを超えてゆけ。

2009年から2012年までの間に、「No Reason」という疑似死体写真作品を個展4回、50作品を制作した。2012年の11月の個展時には撮影をしていなかったので、およそ4年間この作品の制作を凍結していたことになる。

 

凍結していた理由はいろいろある。精神状態や体調不良が続いた。独立して個人事業主になったことにより生活や経済環境が一変してしまった。東日本大震災を契機に変えた作品メッセージをどうするべきか考えてもわからなかったなどなど。

「Uncostumed Love」という作品をつくったものの、それはコンペに向けた作品という位置付けだったし、この作品も続けていくことに多くの課題があった。

ともかく、4年という月日の間に、心療内科は行かなくてもよくなったし、服薬も止めた。でも服薬を止めたからといって傷口が塞がるように、鬱々とした状態がなくなるわけでもない。

4年という時間に意味があるわけでもなく、単にいま「つくりたい」という気持ちが再び湧いてきたということ。そして「つくるのであればこういう作品」というイメージが持てたことで、前に進む踏ん切りがついた。

つい先日、被写体になってもらう友人と打ち合わせし、撮影日・撮影場所も決まった。彼は4年前、最後に撮影した「No Reason」作品のモデルふたりのうちの一人だ。

打ち合わせ後も作品のことが頭から離れない。居ても立ってもいられず撮影場所にひとりで行って下見をした。いまはまだどことは言えないが、俺はとても恐怖した。必死にカメラを構えた。数枚の写真を息も絶え絶えになってカメラに収めた。しかしそれでも落ち着くことはなく、ますます頭のなかにさまざまな疑問が浮かび、それらは消えず充満するばかり。帰り道も恐怖と混乱寸前の頭はパニック寸前でもう少しで過呼吸になるところだった。

そういえば、 No Reason 最初の撮影の前もこんな感じだったのかもしれない。
作品を制作する時に、まず初めに対峙すべきは自分の弱さや醜さだ。それらを認めることで次に進めることを俺は知っているじゃないか。

負けるな。
撮影日は近い。