「祈り」と生い立ちと「再生へ」

俺のサイトで俺が書くブログなので、できるだけ「今現在」に焦点をあてて書こうと思う。なので「未来」にはいろいろ変わっているかもしれない。あくまでもここに書いておきたいから書くだけなのだ。

先日の投稿で3つほどプロジェクトが立ち上がったと書いた。その後仕事やらなんやらで進行する案件が枝分かれするなどして倍近くになってしまった。いずれも企画段階のため考えたり人に相談しないと決定しない事柄が多いため、俺の頭は久方ぶりの賑々しさだ。うれしい悲鳴と表現するには能天気なポジティブさもなく、悲観するでもなく、ただただ考え続け動き続けながら、道筋をつけていくしか方法はない。

あ、そうか。
「楽しい」と言えばいいんだね。

「祈り(仮)」は今週に関係者と打ち合わせがある。
その準備を終えた。これ以上は正直切りがない。決まった後でまた深めればいい。まだ第一段階だ。

先日大阪に出張することがあり、数十年振りに俺が育った家があった周辺を歩いた。16のときに近くに引っ越したためこの家はもうない。そんなこともあって、この周辺にはさまざまな想いやいろいろ複雑な事情があり、なかなか足を踏み入れられずにいた。祖母が昨年夏に他界したこともこの日帰った実家で知らされた。母や弟の配慮だろう。言わずと知れた親不孝者がここにいる。

長屋とアスファルト。
東京では珍しくなった風景に蘇る少年時代の記憶。

自分が変わったことはたくさんある。
でも変わらないことってなんだろう。
考えても詮なきことなのはわかっているし、そういうことに興味もないのだけれど。

大阪の長屋

もうこの周辺に足を踏み入れないという半ば強引な決意と
ふらっと立ち寄るかもしれないなという半ば確信めいた予感。

そんな想いをよそに風景は移ろいゆくのだ。

フェンスに覆われた公園

「再生へ」
ここ最近、いろんなプロジェクトを企画するなかで、No Reason シリーズの次回作のコンセプトとビジュアル表現が浮かんできた。いや浮かんでしまった。予期せず生まれたこの卵、大切に巣であたためることにする。

(この記事の写真はiPadによるものです。D810で撮ろうとして記憶メディアを忘れたことに気づいた・・・)