魂の在り処

前回のブログ「祈り(仮)」という作品と「再生へ」というNo Reason の新シリーズの作品が制作予定であると書いた。後日詳細をお伝えしようと思うのだけれど、この2作品を6月に展示しようとしている。もう2ヶ月もない。

先日about tess が出演するライブを観に新宿Motionへ行ったのだけれど、1組目の「突然少年」や3組目の「ガナリヤ、サイレントニクス」に感じる所があって。ふと「あ、”魂はどこにあるのか”を表現する写真を撮らなくてはいけない。この写真は2作品をつなぐし、No Reason の前作から次作への幕間として必要だ」と思いついた。

彼らの楽曲がトリガーになったかどうかは定かではないが、彼らの演奏時に思いついたことは確かだ。
ありがとう、「ガナリヤ、サイレントニクス」!(笑)

その後、思いがけぬ人物と出会うのだけれど、その話はまた別の機会に。

ともかく時間がないのに、やるべきことを増やしてしまった。
誰から頼まれたわけでもないが、この宿題をかたづけないと気が落ち着かない。
撮るだけ撮って展示するかどうかは後で決めればいい。
しかし撮らなければ展示するという選択はなくなってしまう。

まぁ、撮るよね(笑)

今日予定にはなかったのだけれど、急遽思いつきでカメラを持ってでかけ、用事を済ませたのち、都内某所で撮り始めた。そして、レンズを替える。この後に売り払う予定だったレンズに。

当然撮る画が変わる。
撮っているうちに、次第にレンズが「こう撮れ」と語りかけてくるように感じて、俺はこのレンズの特徴がわかってくる。どんどん撮る画が変わる。

実はこのレンズ、海外コンペ応募作品を撮影するために購入したのだけれど、諸事情あって撮影途中に使わない判断をして使い用がなくなったのだった。しかし・・・・。

このレンズを売るのを今日は止めよう。
せっかくこいつの使い方がわかったんだから、と納得し、帰路に着いた。

もちろん、“魂はどこにあるのか” なんて答えはないのかもしれないし、答えがあったとしても正解はひとつかもしれないし、無数にあるのかもしれない。
ただ、その答えを突き詰めて考え表現することが作品になるのだろうし、他者とつながれるものになると俺は考えている。それが正解かどうかはまた別の問題だから。

「祈り」と生い立ちと「再生へ」

俺のサイトで俺が書くブログなので、できるだけ「今現在」に焦点をあてて書こうと思う。なので「未来」にはいろいろ変わっているかもしれない。あくまでもここに書いておきたいから書くだけなのだ。

先日の投稿で3つほどプロジェクトが立ち上がったと書いた。その後仕事やらなんやらで進行する案件が枝分かれするなどして倍近くになってしまった。いずれも企画段階のため考えたり人に相談しないと決定しない事柄が多いため、俺の頭は久方ぶりの賑々しさだ。うれしい悲鳴と表現するには能天気なポジティブさもなく、悲観するでもなく、ただただ考え続け動き続けながら、道筋をつけていくしか方法はない。

あ、そうか。
「楽しい」と言えばいいんだね。

「祈り(仮)」は今週に関係者と打ち合わせがある。
その準備を終えた。これ以上は正直切りがない。決まった後でまた深めればいい。まだ第一段階だ。

先日大阪に出張することがあり、数十年振りに俺が育った家があった周辺を歩いた。16のときに近くに引っ越したためこの家はもうない。そんなこともあって、この周辺にはさまざまな想いやいろいろ複雑な事情があり、なかなか足を踏み入れられずにいた。祖母が昨年夏に他界したこともこの日帰った実家で知らされた。母や弟の配慮だろう。言わずと知れた親不孝者がここにいる。

長屋とアスファルト。
東京では珍しくなった風景に蘇る少年時代の記憶。

自分が変わったことはたくさんある。
でも変わらないことってなんだろう。
考えても詮なきことなのはわかっているし、そういうことに興味もないのだけれど。

大阪の長屋

もうこの周辺に足を踏み入れないという半ば強引な決意と
ふらっと立ち寄るかもしれないなという半ば確信めいた予感。

そんな想いをよそに風景は移ろいゆくのだ。

フェンスに覆われた公園

「再生へ」
ここ最近、いろんなプロジェクトを企画するなかで、No Reason シリーズの次回作のコンセプトとビジュアル表現が浮かんできた。いや浮かんでしまった。予期せず生まれたこの卵、大切に巣であたためることにする。

(この記事の写真はiPadによるものです。D810で撮ろうとして記憶メディアを忘れたことに気づいた・・・)

新たな航海には新しいカメラで。

先日書いたようにずいぶん長い間、作品らしい作品や展示らしい展示を行っていなかったのだけれど、ここ最近で旧知の方々と次々に再会し、自分の中でも外でもこの数年間とは違う流れが生まれている。

人生の潮目というと大袈裟かもしれないが、乗るしかないだろ!このビッグウェーブに!

・・・まぁ、そういう気分で盛り上げていかなければなぁと思っております。

また新たな船出の刻、というわけで新しいカメラを買いました。
ひと月ほど悩んで「Nikon D810」を。

Nikonはこの春にD5、D500という最新機種を発売する(D5はすでに発売中)のですが、自分の撮影仕事内容(主にポートレート、スナップなど人物中心)や作品の撮影スタイル(スタジオ撮影は低感度があるとありがたい)を考慮し、また次の仕事の繁忙期を考えると、このタイミングではD810がベストだろうと。このカメラは発売から1年半ほど経っているおかげで価格が下がってますしお寿司。

まぁ、間も無く後継機が発表される可能性が高いのだけれど、なにせD3を8年間使い続けてきた俺が何をいまさらwww ←あきらかに強がり

実は、使ってみたいレンズがあるので、 Canon の 5Ds への切り替えも考えたのだけれど、お金も手間もかかりすぎて仕事にも支障きたしそうだしで却下。

なにはともあれテスト撮影をしなきゃならない。
最近よく撮る被写体は引越しで忙しいので、桜舞い散る井の頭公園で適当にスナップしてきたが、もうWebのいろんなところで書いてある通り「ニコン史上最高画質」のうたい文句は伊達じゃない。今まで使っていたレンズが「え?こんなに精細な描画できるの?うそ、これ開放だよ?」と自分の目を疑うぐらいに。

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中央部分をクロップ(切り抜き)した画像。にもかかわらずピンがあった桜の花房では「ウブ毛」まで写っている。

テクニカルなことはあまり書かない主義だしなにより不得手なので、ここまでにして、とにかく「よく写るカメラ」だということだけ伝わればいい。

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元画像は容量が大きいため縮小しています。池の水面のテクスチャ表現が場所によって異なっている。

道具が変われば気分も変わる。
いまは気持ちを新たに、また気を引き締めて、制作に打ち込みたい。そう思っています。

13 No Reason第7回撮影

彼女からメッセージが来たのは、
2009年04月27日。
初めて会ったのが、2009年5月9日。

その日の夜、まえださんとオレは彼女を待っていた。

No Reason のキャッチコピー(※1)だけを見て、メッセージをくれた初めての人。
それが彼女だった。

初めてでも写真と変わらぬ印象。
はきはきとした物言いが清々しい。

夜の待ち合わせでそれほど時間がないことから、早々と渋谷駅前のCafeに入った。

3人で話し、想定する撮影シーンなどを1時間ほど話して、その日は別れた。

そして、その日から約4ヶ月。
ようやく彼女を撮影したのは、9月12日だった。

当初想定していた撮影シーンとは全くことなるため、撮影日の一週間前、オレとモデルさんで新宿御苑に下見に行った。想定シーンは野外だ。

死に場所を探すのは、
どうしてこうも気が安らぐのだろう。

晩夏の日差しは、
なぜかサボテンの棘を思い出させる。

木陰の風は、
まるで記憶を運び去るかのように、
やさしくそよぐ。

写真のコンセプトは、Flickrにアップした写真のタイトル通り。
「a vampire’s suicide」。

疑似死体写真プロジェクト「No Reason」-a vampire's suicide

死ねない吸血鬼は、何を思って
死を選ぶのだろう。

生きたくない吸血鬼は、生きている間
何をその糧としたのだろう。

まえださんとは、No Reason以外の撮影もしていたものの、その日は久々の疑似死体撮影だった。

しかし、撮影日はあいにくの雨。
当日午前に急遽スタジオを予約し、集合場所を変える。まだ使ったことのないスタジオだが仕方がない。

スタジオの片隅に倒れる牙なき吸血鬼。

それにしても、なぜか深い悲しみを感じる彼女の存在はなんなのだろう。

撮影が終わると雨は止んでいた。

まだまだ撮れると思うし、また撮る機会があるだろうと思う。

遠音さん、そのときまでお元気で。

※1 たぶん、生きることに、死ぬことに、理由なんていらない。

12 展示会場探しと作品コンセプト固め

前回の撮影までで、合計10組撮れたことで、展示のめどがようやくついた。
それと同時に展示会場を探し始めた。

これまで主に展示していた飲食店では、疑似死体はさすがに合わないかな(というか迷惑だ)と思い、貸しギャラリーを探し始めた。

地区の候補は3つあった。
下北沢、吉祥寺、そして新宿。

まず下北沢は、5,6箇所のギャラリーを回ったけど、諸条件に該当するところがなくて断念。

吉祥寺は、ひとつ気になったギャラリーがあったが、雰囲気が合わず。日程の問い合わせを入れていたのだが、返事が来る前にキャンセルをしてしまった。

そして、残るは新宿。
7月にポートフォリオ展に出展させていただいた新宿眼科画廊さんが候補として残った。

タナカさんにアポを取り、作品写真やコンセプト説明をした。

そして展示にあたっての懸念を話したが…

「全然うち大丈夫っすよ!」

という言葉に背中を押されて、

「じゃぁ、お願いします!!」

と展示を決めた。

時を前後して、8月頭ぐらいに作品コンセプトをずっと詰めていた。
読んだ本は、心理学関係、自殺関係、社会学、精神医学関係など。写真の本なんて一切読んでないww

9月3日に発表した作品メッセージは、その後何度となく見直したものの、結局展示まで手を入れなかった。

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作者からのメッセージ

現在、日本では年間3万人を超える人たちが自殺している。一方、無差別大量殺人が後を絶たない。

底が抜けた社会の中で、生きることや死ぬこと、殺すことに理由を求めても、
その答えは風に吹かれ、
宙を舞うばかりだ。

現代社会という病巣、
自己責任という責任放棄、
平和という奇跡、
自由という嘘、
生存という残酷、
死という現実、
愛という真実。

どうか、愛するあなたよ、いつまでも健やかに。

時とともに社会はうつろい、
時とともに人は生まれ、
時とともに人は死ぬ。

そして人は、人とともに生き、人とともに死ぬ。

どうか、愛するあなたよ、
いついつまでも安らかに。

※本作品は自殺や殺人を推奨するものではありません。
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このメッセージを作った後に、DMとして、必要な要素だけを編集し直した。

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作品案内
masashi_furuka写真展
『No Reason』
たぶん、生きることに、
死ぬことに、理由なんていらない。

「File 01: 死例 001-012」

日本――
年間3万人を超える
自殺者、後を絶たない
無差別大量殺人。

「生と死」が日常から
隔離され、メディア空間の
中でのみリアルな輝きを
放つようになってから、
もうどれぐらい
経ったのだろう。

この作品は、
現在そしてこれから
日本に生きる(死ぬ)
わたしたちの日常に
再び「生と死」を
取り戻す試みと
その記録である。

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たぶん、

きっと、

このメッセージを

オレは死ぬまで忘れないだろう。